枝吉城
別名 明石城 | 付近住所 神戸市西区枝吉 | 現在− |
2004/5/23 | 碑・案内板アリ | 日本城郭大系 |
明石越前守尚行→ 周防守祐実→ 右京亮則行→ 修理亮長行→ 左京亮祐行→ 左近助則実→ 高山右近重友 |
枝吉城は戦国争乱の時代が幕をあける15世紀中頃、明石氏によって築城された。明石氏は古代明石郡の大領を先祖とするという言い伝えがある。城を台地上に構え、その東縁には城主の居館を中心に城下町が形成され一時は地域の中心として賑わった。その後、枝吉城は2度の合戦を経て城下町もその度に戦火にあったが、16世紀末にはキリシタン大名の高山右近重友が最後の城主となり、一世紀半ばに渡る枝吉城の歴史は終わった。枝吉城が築かれていた山は城山と呼ばれ、6万3000余平方mの範囲には田畑や雑木林、溜池があった。この台地上には、稲作開始期にあたる弥生前期の村落跡もあったが枝吉城築城の際に壊されてしまった。弥生前期の村落跡「播磨吉田遺跡」と「枝吉城跡」の顕彰碑が城山台地上に建立され、この地の歴史の1ページを記念している。 縄張図 |